関節の「痛み」と動き|関節痛と関節の可動域制限における心の作用

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人の体には200以上の骨があり、様々な形状で連結しているのであります。

この骨と骨の連結部分を関節と呼ぶのですが、関節と一口に言っても、指、肘、肩、顎(あご)、首、腰、股、膝…などの可動関節(動く関節)と頭蓋、仙腸関節などの不動関節、半関節(ほとんど動かない関節)があります。

関節には衝撃を緩和するクッションの役割や、体を曲げる、伸ばす、ひねるという働きがあります。

この関節が痛くなったり、動かなくなったりするのが関節痛と関節の可動域制限であります。

関節痛と関節の可動域制限

筋肉の緊張と関節の「痛み」

変形性膝関節症、変形性股関節症などの変形性関節症、四十肩・五十肩と呼ばれる肩関節周囲炎、関節リウマチ、痛風、偽痛風など、関節痛の診断名は実に多いのであります。

これらは、関節周りの筋肉の緊張による「痛み」であります。

変形性関節症といっても骨の形が変形しているわけではなく、関節の周りを固めている筋肉の緊張によって関節がアンバランスな状態になり「関節を変形させている」のであります。

関節を動かすために筋肉は2つ以上の骨にまたがって付いているのでありますが、筋肉が緊張(収縮)すれば自ずと骨同士は引き付けられ、軟骨、骨膜、血管が圧迫されるのであります。

関節がアンバランスな状態になれば変形性関節症では軟骨が片減りし、関節リウマチでは骨膜が炎症を起こし、痛風では尿酸が溜まるのであります。

筋肉の引く力(収縮力)は、疲労骨折といって骨を折るほど強力な力があるのでありますから、関節を変形させ炎症を起こすくらいは容易いのであります。

筋肉の緊張と関節の動き(可動域制限)

疲労骨折は反復運動で発生する筋肉の緊張、筋肉の弛緩不全ですが、ほとんどの関節痛は関節の反復不運動(関節を固定し動かさないこと)による筋肉の緊張であります。

長時間のパソコン作業というのは、指関節以外の関節は同じ角度で固定されたままであります。

 安静状態が続くとリハビリをしないと関節が動かなくなるのと同じように、同じ姿勢、同じ角度で関節を固定すれば可動域は減少するのであります。

体は動かさないと動かなくなるのです。

慢性の関節痛も、痛くて動かせない状態、痛くて動かしたくない状態が続けば関節は益々動かなくなるのです。

また、「痛み」はないが関節が動かないというのは「痛い動きをしたくない」という痛い動きから自分を守るための防衛手段であります。

意識(現在意識)では動かそうとしているのだが、無意識(潜在意識)では動かさないようにしているのであり、収縮しようとする筋肉に対して、無意識に、収縮させまいとする筋肉が抵抗するのであります。

一方、痛くて動かないというのは「動かすと痛そう、痛いはず」という感情が新たな筋肉の緊張を生み、関節の痛みを一層強くするからであります。

関節痛における心の作用

原因の明らかになっていない「痛み」、つまり、全ての「痛み」のもとは筋肉の緊張、体の緊張によるものであり、体の緊張は心の緊張によるものであります。

即ち、肉体は心の現れである。

肉体が単なる物質の塊であるならば、薬剤による化学反応、手術による物質の切除、縫合により全ての「痛み」や病は癒えるはずであります。

しかし、実際には物質的医療技術が進歩しているにも関わらず、病人、患者数は増加し続けているのであり、逆に、認知行動療法、マインドフルネス(瞑想)といった心理的療法が効果をあげているのであります。

最近になって腰痛の原因は心理社会的要因、即ち心によるものであることが解明されたのであります。

数人の盲人が、それぞれ象の異なる部位を触り、腹を触った者は象は壁のようなものであると言い、鼻を触った者は蛇のようなものであると言い、足を触った者は柱のようなもの、耳を触った者は扇のようなもの、尻尾を触った者は縄のようなものであると互いに論じ合ったというたとえ話がある。

腰痛は心因的なもの、変形性関節症は軟骨の磨耗、関節リウマチは骨膜、痛風は尿酸によるものというのは群盲象を評すが如しであります。

「痛み」という象の本質は心であり、異なる関節、異なる病名ごとに原因を求めても本物の象を知ることはできないのであります。

心の緊張と「痛み」の関係

心が緊張すると筋肉は緊張し、体はこわばるのであります。

膝関節がこわばれば変形性膝関節症となり、手足がこわばれば関節リウマチとなり、肝臓、腎臓がこわばれば痛風となるのであります。

心を緊張させるものは不安や恐怖、怒り、悲しみなどの陰性の心であります。

心身一如、身体的変化を起こさない感情はないのであります。

東洋医学では内因といって感情は五臓六腑に影響を及ぼし、病気の原因になると考え、西洋医学では怒りっぽい人は心臓の病気、我慢強い人はガンにかかりやすいという研究(詳しくはこちらの記事 体の「痛み」を慢性化させやすい性格)があるのであります。

心因性視力障害、突発性難聴…など、見たくないものがある時は目の病気になり、聞きたくないものがある時は耳の病気になるというのも心身一如に基づく考え方であります。

こういった考え方は、症状だけでなく、症状が現れる部位にもそれぞれ(心理的)意味があると捉えるのであります。

例えば腰痛の場合、背骨、腰というのは体の中心の骨、柱であります。

腰のすわらない状態、肚ががすわらない状態というのは決断、責任に対して不安を感じ、心の柱が緊張している状態であります。

また、仕事の中心である上司、家庭の大黒柱である夫、または、仕事や家庭の要である自分に対して不平、不満、心の緊張があると腰が痛くなり動かなくなるのであります。

心と関節痛の関係

心と症状を関連付けて考えるというのは先人の叡智でありますが、内観、内省(自分の考えや行動を深く省みる)という視点でみても得るものが大きいのであります。

症状を精神的に分析し、それが本当の意味で腑に落ちた時、思考と行動は変化し、自分を縛っていた心の糸は解け、症状も変わるのであります。

何より、原因がわからず不安に捉われているよりは、「原因はこれだ!」と、ハッキリ自覚した方が善い結果を生むのであります。

ところで、関節痛、関節の病気には一体どんな意味があるのでありましょうか。

関節は英語でジョイント(joint)であり、接続、つなぐという意味があるのであります。

つまり、関節とは、人と人を結ぶ絆、人間関係をあらわします。

人間関係の摩擦、人間関係の硬直というものが心を緊張させ関節の「痛み」や関節の硬直(可動域の制限)となって現れるのであります。

可能性、確率から言って当然でありますが、ここで言う人間関係の摩擦とは身内、身近な人との人間関係、夫、妻、親、子、兄弟、上司…等の場合が多いのでありますが、稀に元彼、元旦那というケースもないわけではない。

イライラ、怒り、恨み、妬みがくすぶると、摩擦する心となり関節の「痛み」、炎症となって肉体に現れるというわけであります。

関節がこわばって動かないというのは相手に対して、あるいは自分に対して硬直する心、頑なな心があるからであります。

赦せない人や赦せない自分に対する頑なな心、相手や自分に対する「〜でなければならない」という硬直した心が関節を動かなくしているのであります。

環境は心の鏡であります。

心に思ったことがチョットした言葉や表情、雰囲気に現れ、人間関係の摩擦や、人間関係の硬直を生むのであります。

夫婦喧嘩や親子喧嘩もチョットした一言、チョットした態度が気に入らないのであって、そのチョットが積み重なり、イッパイになると何をやっても気に入らない、全てが赦せないとなるのであります。

逆に、心の中で相手を赦せば言葉や態度、雰囲気が少しずつ相手に伝わり、相手の心、態度も変わっていくのであります。

相手の態度だけではない、あなたの我慢心、心の緊張も解け、自分自身が解放されるのであります。

体の「痛み」が教えてくれるものという記事では「憎んでいた知人」を赦すのと同時に、「赦せない自分」を赦すことで7年間苦しんでいた変形性膝関節症が治るという例を紹介しているのであります。

このように、心の摩擦、心の硬直を無くすには頑なな心、我慢心を捨て、人を赦し、自分を赦すことであります。

どんなに悪い環境、人間関係であっても日々変化し、未来永劫続くものではないのであります。

本来変わるもの、本来動くものを不変、不動にしているのは頑なな心、硬直した心であります。

「治らない」「動かない」という頑なな心、「赦せない」「赦したくない」という硬直した心に縛られなくなった時、治癒力は働き、「痛み」は消え、関節は柔軟に動き、人間関係も円滑になるのであります。

「赦す」の赦(シャ)は捨(シャ)であり、捨てる、手放すという意味であります。

彼我の欠点を我慢して許す(認める、容認する)というのではイライラ、怒り、恨み、妬みのくすぶりは未来永劫消えないのであります。

彼我の欠点、こわばった感情を無条件に手放し、捨て去る時、硬直した心は氷解し、心の緊張が溶けるのであります。

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