熱が出るのは熱により病原菌を殺菌するという体の自浄作用である。
嘔吐や下痢、咳や鼻水なども一種のデトックス(排毒作用)である。
では一体、「痛み」にはどんな作用(意味)があるのだろうか。
人は何のために「痛み」を感じるのだろうか。
体の「痛み」が教えてくれるもの
「痛み」の意味
「痛み」の作用を考えるには、無痛の世界というものを考えるとわかりやすいのであります。
痛みを感じることができなければ、怪我をしても痛くない。病気をしても痛くないということになるのであります。
「痛み」があるから私たちは肉体の損傷に気づくことができるのです。
このような観点から見れば、「痛み」には肉体の危険を知らせてくれるもの、肉体の防衛本能、自衛作用、警告という意味があるのであります。
しかし、肉体を維持、自衛するためのサイン、警告としての「痛み」がある一方、肉体の維持的側面が見あたらない「痛み」もあるのであります。
「痛み」の記憶
肉体の維持的側面が見あたらない「痛み」で象徴的なものに幻肢痛というものがある。(肢とは四肢、手足のこと)
幻肢痛とは病気や事故などにより切断して失った手や足に「痛み」を感じるというものであります。
無くなった手や足が痛むとはどういうことだろう。
しかも、この幻肢痛は耐えがたいほどの強い「痛み」を伴うというのである。
手や足の他に乳房切除や抜歯などでもこの幻の痛み、幻影痛(ファントムペイン)は生じることがある。
古傷が痛むという言葉があるが、痛みの記憶が「痛み」を引き起こすのであります。
過去の「痛み」の記憶、経験が引き起こす「痛み」とは認知的な側面をもっているといえるのであります。
「痛み」の予測
人は柑橘類、例えばレモンを想像しただけで唾液が出るのであります。
また、緊張する場面を想像しただけで心拍数が上がり、汗が出るのであります。
このように想像、予測というものが身体的変化をもたらすのであります。
故に、唾液の分泌、心拍数の上昇、血圧、発汗、呼吸の乱れというのは想像、予測という心の作用の結果といえるのであります。
なぜ血圧が上がったのか、なぜ呼吸が乱れているのかを肉体的に検査しても、原因はわからないのであります。
なぜなら、原因は想像、予測という心にあるからである。
レモンを想像し、「レモンは酸っぱい」と連想、予測することで唾液は分泌されるのです。
面接で「失敗したらどうしよう。」「落ちたらどうしよう。」と思うだけで心拍数は上がり、汗がでるのです。
「痛み」も例外ではありません。
痛くなりそう、悪化したらどうしよう、痛いのは嫌だ、痛みは怖いとう連想、予測は体を緊張させ、知覚を過敏にさせ「痛み」となって現れるのであります。
「痛み」はどこから来てどこに去るのかという記事でお伝えしたように、実際に恐怖という心(感情)は脳(側坐核)の機能を低下させ、痛みをコントロールするホルモンの分泌量を低下させることがわかっいているのであります。
慢性疼痛というものは、医師のコトバ、病名、レントゲン画像から「痛み」を想像、予測し、「治らなかったらどうしよう。」「歩けなくなったらどうしよう。」という不安、恐怖を想像、予測し慢性化するのであります。
私たちは「痛み」の想像、予測というものに普段から注意をしなければいけないのです。
なぜなら、想像、予測というものには制限がなく「無限に広がっていくもの」だからであります。
人は何のために「痛み」を感じるのか
肉体的に感じる「痛み」もあれば、肉体がないところに感じる「痛み」もある。
この得体の知れない「痛み」とは一体何でありましょうか。
「痛み」が単なる肉体の危険を警告するサインであるならば、あまりにも誤作動が多いサインであります。
肉体に「痛み」の原因を求めるのは肉体に唾液が分泌された原因を求めるようなものであります。
唾液を出さしめるところの原因である「レモン」は心にあるのであり、肉体をいくら探しても「レモン」は見つからないのであります。
発痛物質、侵害受容器、筋肉細胞、神経、脳などの生態変化は果であり、これらの肉体を支配する心、生命が因であります。
肉体の自衛作用による「痛み」は今現在の恐怖心である。
「痛み」の記憶による「痛み」は過去の体験による恐怖心である。
「痛み」の想像、予測による「痛み」は未来への恐怖心である。
「痛み」の原因は外にあるのではなく、内にある我々の恐怖心であります。
「痛み」の語源は程度の激しさを表現する甚(いた)であり、甚だしい(はなはだしい)という意味であります。
不安、恐怖、怒り、悲しみといった陰性の心が激しく、甚く(いたく)、甚だしければ「痛み」となって現れるのであります。
「痛み」は陰性に甚だしく偏った心、激しい心の波を警告し、教えてくれているのです。
目の前の事実によって心が偏る時もあれば、過去や未来の恐怖に捉われ、執着している時も心は偏るのです。
そして、陰性の心の対極にあるのは執着しない心、赦す心、感謝の心であり、幸福感、心の平和であります。
「痛み」と執着心
膝の痛みに苦しんでいたある女性の話である。
その女性は膝の痛みを感じ整形外科に行ったところ医師に変形性膝関節症という診断を下されたのであります。
レントゲン写真を見せられ膝の軟骨の磨耗を確認しながら
「歩かないと歩けなくなりますよ。毎日1キロ歩いてください。」
と告げられたというのであります。
その女性は歩けなくなっては大変だと思い、痛みを我慢して毎日1キロ歩くことを決意したのであります。
少しでも痛みを軽くしようと整骨院に週2日通いながら、毎日、毎日、痛みに耐えて歩き続けたのでありますが痛みは治らないのであります。
このような生活を彼女はなんと7年間続けたというのであります。
7年間、彼女は整骨院に週2日通い、毎日1キロ歩き続けたのであります。
そして、ある日、彼女は痛みに耐えかね整骨院の院長に
「私の膝の痛みは何で治らないのでしょう?」
と質問したというのであります。
プライドを傷つけられたと思った院長は
「これだけ治療して治らないはずはない!」
と激しく怒り
「もう来なくていい。」
と言ったというのであります。
彼女が私のところに初めて来た時に言った言葉が
「毎日1キロ歩かなければ歩けなくなるのでしょうか?もう歩くのがつらいのです。」
という言葉であります。
私は、我慢して長い距離を歩く必要がないこと。毎日歩く必要がないこと。歩けなくなるというのは極論であることを説明したのであります。
「無理して歩かなくても大丈夫ですよ。せっかく歩くなら景色を楽しんでゆっくり散歩してください。」
と言うと、彼女はホッとした表情で帰っていったのであります。
数日後、彼女は膝の痛みがずいぶんと軽くなったこと、嬉しくて歩きすぎたことなどを笑顔で教えてくれたのであります。
レントゲン画像、変形性膝関節症という診断名から想像する「痛み」、「毎日1キロ歩かなければ歩けなくなる」という「未来の不安と恐怖の心」が彼女を7年という長期にわたって苦しめていたのであります。
その後、杖も必要なくなり、軽い痛みや違和感を感じる時もあるが、「痛み」を気にして生活することはなくなったのであります。
しばらくして、彼女から「痛み」が完全に消えたとの報告がありましたので
「最近、何か変わったことがありました?」
と私が尋ねますと、彼女はこう言ったのであります。
「先生、私、ある人をやっと赦すことができたんです!」
と言ったのであります。
そして、膝が痛くなる少し前に、信頼していた知人に騙されて財産を失ったこと、ずっとその知人を憎んでいたことを教えてくれたのであります。
この時、彼女は「憎んでいた知人」を赦すのと同時に、「赦せない自分」を赦したのであります。
赦すことによって、憎しみ、怒り、悲しみ、執着心という陰性の心、心の偏りが消え、彼女は7年ぶりに心の平和と健康を取り戻したのであります。
最後に彼女は満面の笑みで自分の気持ちをこのように表現してくれたのであります。
「先生、私、走っても大丈夫ですか?」
「思いっきり走りたい気分なんです!」
彼女はもうすぐ80代であります。
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