画家は感動を絵の具とキャンバスを使い表現します。
音楽家は歌や楽器で感情を表現します。
作家は文字を駆使して想いを伝えます。
アート(芸術)はその人の心を視覚や聴覚、味覚などの五感に翻訳して表現したものであります。
アートだけではなく、製品というものも開発者の欲求、消費者の役に立つものを創りたい、〜したいという感情がイメージになり、設計図となり現実に製品として完成するのであります。
このように、私たちの周りにあるものは感情が想像力(イメージ)となり、そこに希望や願いという意思の力が加わった時に、行動となり現実の世界に現れるのであります。
肉体の「痛み」も例外ではありません。
芸術家が感情を絵画や音楽で表現するように、我々の身体も様々な症状で感情を表現しているのであります。
肉体における心の作用
手術後に悪化した腰痛〜カウンセリングを通じて伝えたいこと〜という記事でお伝えしたように感情により肉体は変化するのであります。
梅干しやレモンと言っただけで「酸っぱい」と想像し、実際に唾液がでる。
嫌な人を想像しただけで心拍数は上がり、汗が滲み、体はこわばる。
好きな人のことを考えただけで胸がキュンと締め付けられて呼吸も速くなる。
試験や面接のことを考えるとお腹が痛くなる。
恥ずかしいと思ったり、怒ったりすると瞬時に顔が赤くなる。このように言葉、想像、思考、感情が実際に肉体に変化をもたらすわけであります。
「病は気のせい」という言葉がありますが、現代風に言えば、気(感情)が脳、自律神経に作用し、ホルモン分泌、心拍数、発汗、体温、筋肉の緊張(こわばり)etc…に影響を与え病、痛みとなって現れるということであります。
つまり、あらゆる肉体的作用は感情に影響を受ける。肉体は心の現れ。と言うことができるのであります。
感情と一口に言っても自覚できる感情(現在意識)と自覚できない感情(潜在意識)があり、「注意転換疼痛症候 distraction pain syndrome」(TMS)のJohn E. Sarno博士も痛みは抑圧された感情、つまり潜在意識下の感情の現れであると言っているのであります。
感情が生理作用に影響することは誰でも日常的に経験して知っているのでありますが、病や痛みは今まで唯物主義や物質科学によって「別もの」とされ、心の部分が除外されてきたのであります。
その結果、部分的に治る人は増えたかもしれないが、患者数自体は増加しているのであります。
部分的に治るとは、腰痛が治ったら、今度は肩が痛い、頭が痛い、腕が痛い、脚が痛いとなり、痛む部位が変わっただけで、患者の苦痛自体は変わらないということであります。
薬も、副作用により新たな症状を生みだしたり、薬物依存という新たな苦痛を生みだすのであります。
また、治ったとしても「また痛くなったらどうしよう」と不安の日々を過ごしたり、薬が手放せない生活、行動が制限された生活では本当の意味で治ったとは言えないのであります。
肉体的痛みがなくなっても、ずっと心の痛みで苦しんでいるという人もいるのであります。
肉体的な症状、苦痛がなくなった先には心身共に健康な状態、安心、幸福感というものがなければ物質的な修理と変わらないのであります。
別人の体が痛いと感じる理由
人は毎分毎秒、新陳代謝を繰り返し一年前の肉体とは違う肉体になっているのであります。
肉体は毎日生まれ変わっているのであります。
その一年前とは別人の肉体が何年も痛いと感じるのはなぜでありましょう。
「肉体が変わっても変わらないものが慢性疼痛の正体である」と考えることは自然なことであります。
物質的に考えれば骨の変形や軟骨の磨耗など、肉体は年齢とともに劣化、消耗するということになるのでありますが、最も消耗するであろうアスリートやスポーツ選手が最も強固な肉体を有しているのであります。
100歳の人が、100年も歩いたから足の皮が消耗して骨が出てきた、歩くと皮が磨り減って困るとは言わないのであります。
100年経っても肉体は毎日生まれ変わっているのであります。
肉体が変わっても変わらずに痛みを感じているものが心、感情であります。
つまり、心の痛みの肉体表現が「痛み」であります。
過去の痛みと未来の痛み
ここでいう心の痛みとは陰性感情と呼ばれるものであり、怒り、不安、恐怖、悲しみなどであります。
慢性疼痛と陰性感情の関係は様々なところで論じられておりますが、一般的にはストレス(嫌悪感を感じる刺激)が痛みを慢性化させると言った方がわかりやすいかもしれません。
簡単にいうと、これらの陰性感情が筋肉をこわばらせ、神経を過敏にし、ホルモンのバランスを乱したりして痛みや病となって現れるわけであります。
そして、これらの陰性感情というものは過去の記憶と未来の想像によって生み出されるということをここでは説くのであります。
過去の痛み
過去の痛みとは過去の記憶による痛みであります。
PTSD、トラウマというものがありますが、過去の感情の記憶によって「今」の感情が支配される状態のことであります。
過去の一瞬の出来事が何十年も「今」の感情を支配するということは誰にでもあることでありますが、過去、記憶というものは過去に実在したものであって「今」実在するものではありません。
皆さんもご存知の通り記憶ほど曖昧模糊、不確かなものはないのであって、時間の経過とともに忘却するかデフォルメ(誇張)されるものであります。
過去の感情、苦痛、経験がデフォルメされてズゥーと「今」の感情に影を落としているのであります。
心の痛みの肉体表現が「痛み」であります。
過去の他人の一言、行動によって何十年も恨み、憎しみ、悲しみ、ユルセナイという感情を持つことは、何十年も自分の体に痛くなれと念じているようなものであります。
また、誰々のせいで、〜のせいでという思考や後悔の念というものも過去の痛みを今の痛みに変換させる作用があるのであります。
未来の痛み
人は過去の経験から未来を予測するものであります。
階段を見て「痛くなるかも」と思い、イメージするだけで筋肉はこわばり、神経は過敏になり、予測通りに痛くなるのであります。
開発者のイメージが製品を創り出すかのごとく、未来のイメージ、つまり、不安や焦りというものに体は反応し、痛みをつくり出すのであります。
治らないと言われたり、手術しかないと言われて急に痛みが強くなるのも未来の不安や恐怖によるものであります。
この、痛みがいつまで続くのだろう、悪化したらどうしようという感情が慢性化させるもとであるということに我々は気づかなければいけないのであります。
未来の予測、イメージというものの過去の記憶と同じように果てしなく無限に広がるのであります。
不安になってネットや書籍で調べたり、メディアや医師、治療家の情報や意見を参考にすればするほど症状に対するイメージは膨らみ不安が強くなるのであります。
未来の痛みとは、痛みに対する不安や恐怖心、焦りであります。
未来の痛みを意識するということは、無意識に痛くなるイメージトレーニングをしているのであります。
ギックリ腰が怖くて重いものが持てない、膝が痛くて正座ができないという人でも、このことが心の奥底でわかり、不安や恐怖心がなくなれば、重いものを持ったり、正座ができるようになるのであります。
感情と「痛み」
一般的には陰性感情は怒り、不安、恐怖、悲しみ…という否定的、ネガティブな感情ということになっているのであります。
偉い先生に「痛みの原因は陰性感情です」と言われても、悟りを開いている人ばかりではないのでありますから、日常的に陰性感情を生まないようにすることは難しいのであります。
忘れよう、感情を変えようとすればするほど感情を抑圧し心の奥、潜在意識にしまいこんでしまうのであります。
思考を変えてください。行動を変えてください。と言われてもなかなか難しいのであります。
言っている先生でさえ怪しいものであります。
ところで、皆さんは日々どれだけ「今」の自分について考えていますか。
ふと気づけば、我々は過去の記憶と未来の想像の中に生きていることが多いのであります。
過去の経験から未来を予測したり、未来のイメージを過去の経験、アイディアによって実現したりするのであります。
問題なのは過去と未来の陰性感情に対する「執着心」であります。
過去の記憶、未来の想像にに縛られることが問題なのであります。
過去の自分と未来の自分に執着し「今」の自分を見失うことが問題なのであります。
我々は、過去の陰性感情と未来の陰性感情に引きずられないようにしなければいけないのであります。
それには「今」について考える必要があるのであります。
陰性感情とは、過去の記憶と未来の想像によるものであり、バーチャル(架空なもの)であります。
もともと実体のないものでありますから、それについていろいろと思い煩うことはないのであります。
「今」だけが実在であります。
「今」という実在に集中した時に、過去や未来というバーチャルは消滅するのであります。
呼吸や鼓動を感じ、酸素や血が体を循環して「今」生きていることに意識を集中するのであります。
今生きている自分以外の自分は存在しないのであります。
今この瞬間、今という一点に生きている自分というものをジッーと見つめた時、そこにバーチャルな自分、陰性感情というものは居場所を失うのであります。
故に、我々は過去と未来の陰性感情という重荷を降ろし、実在する本物の自分に戻る時間というものが必要なのであります。
呼吸法やマインドフルネス、瞑想といったもので痛みが治癒するというのは少なからずこの原理を利用したものであります。
怒り、不安、恐怖、悲しみ、憎しみ、妬みなどの陰性感情というものは別の言い方をすると「今」を縛る感情、消極的感情であります。
逆に、感謝、歓び、楽しい、嬉しいという陽性感情は「今」を活かす感情、積極的感情であります。
呼吸や鼓動を感じ、「今」生きていることを如実に感じると、「今」生きていることが奇跡であり、あり得ないこと、有り難いという感謝や歓び、幸福感という陽性感情が内部から湧き起こってくるのであります。
辛い時も悲しい時も、寝ている時も起きている時も、文句も言わずにずっと自分に寄り添い、呼吸し、鼓動し、新陳代謝をしてくれている体であり、生きる力であります。
「今」を観じ、陽性感情がグゥーと内部から湧き上がってくると、痛みや苦痛、悩みというものが実在しないもの、どうでも好いものという気持ちになってくるのであります。
その時に心と体の調和が生まれ、過去と未来の束縛は消滅し、心と体の解放、癒しが起こるのであります。
我々は「今」を観ずるときに、過去と未来の痛みは本来ナイということに気づくことができるのであります。