メールやLINEなどで「どんな治療法がいいですか?」「〇〇はやったほうがいいですか?」というご質問を受けることが多いのでありますが、もっとも重要なことは「何をやるか」ではなく「何のためにやるか」であります。
薬や手術、鍼灸、カイロプラクティック、整体、気功、ストレッチ、筋肉トレーニング、心理療法、健康グッズ、サプリメント、食事療法…ありとあらゆる治療法、健康法があるが、私はどんな治療法、健康法であれ否定はしないのであります。
もっとも、どんな治療法、健康法であれ、治る人もいれば治らない人もいるのでありますから肯定も否定もしようがないのであります。
そもそも、「好き」にもいろいろな「好き」があるように、「治る」の意味もバラバラでありますから、一概に治療成績や治癒率などで表すことはできないのであります。
医師は骨のカタチや数値を見て治ったと判断し、一方、他の治療者は神経反射や筋肉の硬さ、骨格の歪みを見て治ったと判断するのであります。
故に、本人が「痛い」と言っているのに「そんなはずはない、治っているはずだ」と言う発言が生まれるのであります。
また、股関節痛で人工股関節手術をした人が、反対側の股関節も痛くなり、こちらも人工股関節手術を行ったところ、今度は膝が痛くなったというように、手術した部位は「治った」が、痛みの部位が移動しただけで痛みの苦痛は「治らない」というケースもあるのであります。
それでは、すべての痛みがなくなれば治ったと言えるのかといえば、そうではない。
皆さんも、薬を毎日飲んでいて痛みがないからといって「治った」とは言わないでしょう。
薬や麻酔で一時的に感覚を麻痺させて痛みが消えても、それを「治った」とは言わないのであります。
何でもかんでも「痛みがなくなった」=「治った」ということはできないのであります。
痛みがなくなっても「また痛くなったらどうしよう」と思い悩みながら毎日不安の日々を過ごしたり、痛みはなくなったが心身ともに制限された生活を送っている人も多いのであります。
どんな治療法、健康法であれ本人に「治る」「善くなる」という自覚、自信、希望が芽生え、「痛み」という概念、不安から心が解放された時に治癒が起こるのであります。
何ものにも縛られない自由自在の自分、本来の自分に戻った時に初めて「治った」と言ったり「救われた」と思うのであります。
「痛みを治す」と「痛みが治る」の違い
わたしは「治せるか」と問われれば「治せない」と答え、「治るか」と問われれば「治る」と答えるのであります。
人間には自己治癒力、自然治癒力というものが備わっており、どんな痛み、病であってもこの自己治癒力が働かなければ治らないということになっているのであります。
医師や治療者はこの自己治癒力を働かせる手助けはできても治すことはできないのであります。
治す手助けはできても治すことはできないのであるから「治せない」と答える他はないのであります。
然し、全ての人に治す力、無限の生命の力が備わっているのであるから必ず「治る」と答えるのであります。
実際に、手術するしかないと言われた人、杖がなければ歩けない人が数ヶ月後には登山やダンス、旅行やヨガ、ハードな筋肉トレーニングを楽しんでいるのであるからこの自己治癒力の力を認めざるを得ないのであります。
また、医師に見放され、何十年も続いた痛みが瞬時になくなるというのは只事ではないのであり、只事ではない自己治癒力の底力を確信するが故に必ず「治る」と答えるのであります。
治療法、健康法というのは、この全ての人に備わっている「生命の治癒力」を働かせるキッカケに過ぎず、全能の治療者は自己の内にすでに実在しているのであります。
そうでなければ、記事(バックペインラボ)を読んで痛みが和らいだり、メールやLINE、電話だけで痛みが消えたという事実は説明することができないのであります。
痛みで苦しんだ人にしか痛みの苦しみは伝わらない
現在は、毎日メールやLINEでご相談のメッセージをいただき大変嬉しく思うと同時に、多くの人が悩み苦しんでいることを痛切に感じるのであります。
また、記事を読んだ方から、涙が出ました。嬉しかったです。前向きになりました。腑に落ちました。安心しました。救われました。というメッセージをいただくのでありますが、これらのメッセージは私個人へのメッセージではなく、今まさに痛みを克服しようとしている人への応援や共感のメッセージであり、痛みを克服した人への称賛と感動のメッセージであります。
食べ物の味や食感はいくら詳細に説明しても食べた人にしか伝わらないのであります。
痛みで苦しんだ人にしか痛みの苦しみは伝わらないのであります。
痛みを克服した人こそが、痛みで苦しんでいる人を励まし、救うことができるのであり、救われた人が今まさに痛みで苦しみ悩んでいる人に勇気と希望を与えることができるのであります。
私は、痛みを克服した先輩が、痛みに苦しんでいる後輩と一緒に、または痛みを克服しようとしている人同士がお互いに痛みについて考え、語り合い、共に感動し、共に笑顔になれる場、年齢も職業も関係なく全てを受け入れ理解してくれる場、勇気と希望の仲間が集まる場をつくりたいと切に願うのであります。
但し、傷の舐め合いをしたり、人を憐れんだ目でみたり、被害者意識の臭いがする場はお断りであります。
私が欲するのは、過去の苦しみや未来の不安を蹴り飛ばし「今」を生きんとし、希望、光に向かって進まんと決意した仲間が集う場であります。
私は慢性疼痛の当事者、経験者、治療者がそれぞれの壁を取り払い、友となり、仲間となり、一つの家族となることで無限の可能性を引き出すことができると信じているのであります。
そして、この記事を読まれて共感された方、ご興味を持たれた方がおられるならば共に起ち上がり、共に行動していただきたいと希うのであります。