今、日本をはじめ世界は慢性疼痛という病に罹っている。
医学は慢性疼痛という病から脱けだす道を模索している。
しかし彼らは脱けだす方向を見誤ってはいないだろうか、何かを見落としていないだろうか。
腰痛は動かして治せ!

「腰痛は動かして治せ!これは今や医者の世界では常識です!」
と心療整形外科の大先生はおっしゃいます。
数年前まで大先生は腰痛の治療法がわからずお悩みになられていたそうです。
大先生は手術、注射、薬、牽引、コルセットを何千人、いや何万人にお試しになられ、時には当てずっぽうで手術をされたこともあったそうです。
そんな時、大先生はエビデンス、EBM、ガイドラインというバイブルに出会ったのです。
そこには「腰痛には認知行動療法が有効」と明記されておりました。
その時、大先生は「腰痛は動かして治せ!」「脊柱管狭窄症は歩くだけで良くなる!」 と悟られたのであります。
しかし、大先生…
画像検査を行い、診断名をつけ、手術を勧め、注射をし、痛み止めの薬や湿布、抗うつ薬までお出しになられながら「腰痛は動かして治せ!」「歩くだけで良くなる!」とおっしゃるのは何かおかしいと思いませんか。
大先生は認知行動療法が有効、認知の歪みを直さなければいけないとおっしゃいます。
それは大先生ご自身のことでしょうか?
骨の異常が腰痛の原因という信念のもと何でもかんでも画像検査をし、とりあえず薬を処方しなければいけないという大先生の認知の歪みのことでしょうか?
大先生は「考え方を変えて行動しましょう」とおっしゃいますが「一生付き合うしかない」「歩けなくなる」「手術しかない」「もっと早く来れば…」と言われたこと、画像を見つめながらため息をつかれたことなど私は大先生との思い出が忘れられないのです。
そもそも「腰に負担をかけるな安静にしろ」「老化現象」「遺伝」「骨が変形している」「治らない」と教えてくれたのは大先生です。
最後に…私は本当に大先生を信じていいのでしょうか?
これは架空の作り話であります。
抽象的ではありますが、知ったかぶりの大先生、鼻高の大先生というのは多いのであります。
大先生の知識は多けれど、知識のみ多いものは時に物事を複雑にし、利己的になり、人を裁き、人を害することがあるのであります。
得意顔の裏には「過去の間違いは他人事、今の手柄は自分ごと。」というズル賢い雰囲気がつきまとうのであります。
謝罪会見はしないが新商品発表会見はする経営者同様、責任は取らないが利益と手柄だけは離さない。
そんな大先生の特徴は新しい方法論があればすぐに食いつき、海外のものを過度に尊重するのであります。
「腰痛は動かして治せ!」
そして…「信頼関係が大切!」
画期的?革命的?大先生のお手柄?
たったこれだけのセリフを認めるのに医療は何十年かかったのだろう?
どれだけの人が苦しんだのだろう?
そして今後何年かかって一般常識になるのだろう?
腰痛の次はひざ痛、股関節痛…
これからも手を変え品を変え時代は繰り返すだろう。
整形外科の大先生は「あまり歩くな」と言い、心療整形外科の大先生は「歩かなくてはダメ」という。
整形外科医が腰痛を慢性化させ、心療整形外科医が治療する。
それでも治らなければ「手術しかありません…」
地産地消。
これは新しい腰痛のビジネスモデルですか?
誰かがこの流れを変えなければ、今後、腰痛のみならず「痛み」で苦しむ人は減らないだろう。
そして、その「苦しみ」を利用して利益を上げようとする人達も。
追伸
私は自分の身の丈にあったごく一部の人を救えればいいと思っていたのであります。
できれば自分だけの狭い世界でこっそりと道を極めてみたかった。
できればこのような辛辣な文章も書きたくなかった。
しかし今、私は自分の持っている限りの力で一人でも多くの人々を救わねばならないと感じているのであります。
気づいているのに伝えない、話さない、何もしない、我関せずというのは自己満足であり「可能性の諦め」という気がするのであります。
なぜなら、そう感じさせ、そう思わせてくれた友がいるからであります。
なぜなら、共感して協力してくれる仲間がいるからであります。
今、我々は「痛みのミカタ」という媒体を使い、痛みで苦しんでいる人達の足下を照らす灯火、行き先を照らす光にならんと欲するのである。
一人でも多くの人に伝えたい。
しかし、我々の力はまだ小さいのである。
柔道整復師、カイロプラクター、鍼灸師、マッサージ師、整体師、治療家、セラピスト…
職業、年齢、性別は問わない。
同志よ助けよ。
今、あなたの力が必要なのである。