息という文字は自らの心と書きます。
ここでいう心とは、いのち、生命、生きる力のことです。
つまり息とは、生きるの「いき」であり、活きるの「いき」であります。
人は水や食料がなくても何日かは生きることができるが、息(空気)がなければ1日として生きることはできないのであります。
息が生命維持に深く関わっているということは、当然「痛み」と息も深く関わっているのであります。
「痛み」と息について
「痛み」と心の緊張という記事でお伝えしたように「痛み」とは肉体の緊張であり、肉体の緊張は心の緊張であります。
「痛み」と息の関係を考えるには、肉体や心の緊張と息がどのような関係であるかを考えれば明らかになるのであります。
人は肉体が緊張している時、心が緊張している時、息が浅く、早くなるのであります。
恐怖や怒りなどで心が緊張すれば、息は早くなり、心拍数は上がり、血圧は上昇します。
過呼吸というものも心の緊張、心の乱れが引き起こすのであります。
また、肉体の緊張である肩こりや腰痛も、猫背や前屈(前屈み)といった姿勢をつくります。
この猫背や前屈といった姿勢はお腹や胸の動きを制限し呼吸を浅く、早くするのであります。
前屈の姿勢、浅く、早い呼吸というのは闘う姿勢、ファイティングポーズであります。
そして、ファイティングポーズが長く続けば続くほど肉体や心は疲弊し、疲労や「痛み」となって現れるのであります。
同じように息も心や肉体に変化をもたらします。
ゆっくりと深い呼吸は昂ぶった感情を鎮め、肉体の緊張を緩めます。
心や肉体の緊張を緩めるのに深呼吸が有効であるのはご存知のとおりであります。
そして、心や肉体の緊張が緩めば、「痛み」も自然にやわらぐのであります。
体の「痛み」と心の休息
ここでいう休息とは横になって体を休めるというものではなく、心を休める、落ち着かせる、平静にする、フラットな状態にするということであります。
心を休めるための息、呼吸であり、心と肉体の緊張を緩めるための休息であります。
私たちの心や肉体は、悩みや不安、仕事や人間関係などのストレスで無意識に緊張しています。
ストレスや緊張すること自体が悪いわけではありません。
問題は、ストレスを過度に感じ続けること、心が過度に緊張し続けることであります。
緊張が持続することで緊張が習慣となり緊張していることに気がつかなくなり(無意識の緊張)やがて自然に緊張を抜くことができない状態(筋肉の弛緩不全)になります。
車で例えれば、いつもエンジンが回っている状態です。
走っていても駐車していても24時間いつもアイドリングしている状態ということです。
PCで例えれば、いつもスタンバイ状態です。
PCを使っている時も使っていない時も常に電源が入っている状態です。
エンジンをかける、エンジンを切る、電源を入れる、電源を抜く、というオンとオフがない状態であります。
また、過度の緊張が持続することで自律神経系、内分泌系にも影響するのであります。
通常、食事や寝ている時はオフの自律神経(副交感神経)が優位になるのでありますが、何か作業をしながら食事をしたり、何か考え事をしながら眠るとオンの自律神経(交感神経)が優位のままになり興奮、緊張状態が続くのであります。
そして、便秘や下痢、歯ぎしり、食いしばり、寝起きの疲労感として現れるのです。
ここでいうオフが休息です。
休息とは、ゆっくり深く呼吸する時間、リラックスする時間、自分を見つめる時間、心と肉体を点検、調整する時間のことであります。
ゆっくり深く呼吸し、心と体の緊張を解くことによって感じる静けさ、心の平和、安堵感、安心感というものが肉体に作用し、「痛み」や病を癒すのであります。
「痛み」と呼吸法
休息とは心の平和を取り戻し、心をフラットな状態にし、心身ともにリラックスすることであります。
長い休暇をとって旅行に行ったり、何か特別な道具が必要なわけではありません。
必要なもがあるとすれば呼吸法であります。
普段、無意識にしている息、呼吸に意識を向ければ、休むことなく働いている心を休め、整え、鎮めることができます。
忙しくて呼吸ができないということはないのでありますから、呼吸法は今すぐできて最も効果的な健康法であり治療法であります。
呼吸法にはいろいろな呼吸法がありますが、大切なのは方法ではなく、何のためにするかという目的を明確にすることであります。
休息のための呼吸法とは、心の平和、安心感というものを意識すればいいのであり、それぞれ自分に合ったリズムで行えばいいのであります。
基本的には静かに目を閉じ、自分の感覚にまかせ、ゆっくり吐きたいだけ吐き、吐ききったらゆっくり吸いたいだけ吸う。
いろいろな感情が湧き上がっても客観的に眺めてうけ流す。
流れない感情、特定の感情に意識が向いたら呼吸に意識を向ける。
呼吸に意識が向いたら、また感情を眺めて流す。
心の静けさや安心感、温かさ、懐かしさなどを感じリラックスできたらゆっくり目を開ける。
人によって時間は異なるが、だいたい20〜30分くらいあればどこでも実践できるのであります。
慣れれば、数分ででき、騒がしい場所であろうが、立っていようが休息できるようになるのであります。
「痛み」が気になる人は痛いところにそっと手を置き、手のぬくもりや感触を感じながら呼吸と共に脱力していくと「痛み」も自然に和らいでいくのであります。
ゆっくりとした呼吸、手のぬくもりによる安心感により心と肉体の緊張は解け、「痛み」は癒されるのです。
幼い子供が母親の手のぬくもりを感じ、安心したときに「痛み」が消えるのはそのためであります。
「痛み」は安心し、ホッとした瞬間に息と共に飛んでいくのであります。
また「痛み」だけではなく自律神経のバランスが崩れたときにも呼吸法は有効なのであります。
腸や胃、心臓など、内臓の働きを支配するのは自律神経であります。
普通は意識して内臓を働かすということはできないのであります。
腸も胃も心臓も意識的にゆっくり動かしたり止めたりすることはできません。
唯一、意識的にも無意識的にも働かせることができるのが肺であり、呼吸であります。
肺は意識的にゆっくり呼吸することも、呼吸を止めることもできるのであります。
呼吸は意識と無意識をつなぐものであり、肉体と心をつなぐものでもあるのです。
息とは、生きるの「いき」であり、活きるの「いき」であります。
「生きずらい」とは深くゆったりした息ができずに呼吸をするのがつらいことであり、息がつまるということであります。
目線を上げ、胸を開き、お腹を伸ばし、抱えている感情をゆっくり吐き出し、新たな「いき」を吸い込めば自分の心が活きるのであります。
心が活きれば肉体もまた生きるのであり、「痛み」も病も癒えるのであります。